読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ただの読書ログ(ヨシ・ノリハラ)

ヨシノリハラがひたすら読んだ本をアップしているだけの日記です。

これからの死に方 (平凡社新書) 新書 – 2016/3/17 橳島 次郎 (著)

これからの死に方 (平凡社新書)

これからの死に方 (平凡社新書)

葬儀ジャンルの本だと思い手にとりましたが、読んでみると、どうもそうとは言い切れない。著者は生命倫理の研究者で、かねてより、死や墓についての研究を行ってきた方です(この点、あとがきに詳しいです)。葬送の自由を進める会の理事をつとめておられたこともあるようです。葬式と遺骨の処理を分けて語りますが、どちらかというと、死んだ後に自分の体(遺体)がどのように使われるのか?それをどこまで認めるのか?という倫理的なお話しが主です。軽い気持ちで読んでいると、途中でついていけなくなります。

倫理に関しては、それほどツッコんで考えたことが無かったので、まあ・・正直難しいなと思いました。頭がこんがらがってしまいました。

書籍内容

序章 死を前にした自由と不自由(人は、死を知る生きものである/人はなぜ弔いをするのか ほか)/第1章
死ぬのもたいへんー望みどおりに死ぬ自由はあるか(死に場所の多様化と末期医療の変化/自宅で死ににくいのは、死亡診断書がもらえないから? ほか)/第2章
葬るのもたいへんー葬送はどこまで自由か(散骨の自由を求めて/自然葬運動が出てきた背景 ほか)/第3章
遺体の「第二の人生」-標本や実験材料になる自由はあるか(二〇年以上前の0葬/献体が市民権を得るまでの経緯 ほか)/第4章
自分と送る者と国との関わりー葬送の自由をどう認めるか(散骨を規制する自治体が出てくる/規制の理由 ほか)

現代社会の急激な変化とともに、多様化する死のあり方。過度の延命措置はしないでほしい、墓や葬式は必要ない、散骨してほしい、火葬以外の方法で葬ってほしい……など、死に方、死後の送られ方を選ぶ自由を求める声が広がっている。だがその自由は、「自己決定」の名のもとで無制限に認められるものだろうか。
生命倫理の専門家が問う死をめぐる自由の範囲と制約の条件。

広告