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ただの読書ログ(ヨシ・ノリハラ)

ヨシノリハラがひたすら読んだ本をアップしているだけの日記です。

諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない Kindle版 為末 大 (著)


諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない

この本を買った理由

為末大の言葉に含蓄があるというのは各所で耳にしていました。ちょうどオリンピックの時期でもあり、プロの運動選手の書いた本が読みたくなり手に取りました。

耐える人生か。選ぶ人生か。
前向きに「諦める」ことから、自分らしい人生が開けてくる。

諦めることは、逃げることにあらず。
与えられた現実を直視し、限られた人生を思い切り生きるために、
よりよい選択を重ねていくことこそが「諦める」ことの本質である。
オリンピックに3度出場したトップアスリート・為末大が、
競技生活を通して辿り着いた境地。


【目次より抜粋】
■第1章:諦めたくないから諦めた
・手段を諦めることと目的を諦めることの違い
・「勝ちやすい」ところを見極める
■第2章:やめることについて考えてみよう
・「せっかくここまでやったんだから」という呪縛
・「飽きた」という理由でやめてもいい
■第3章:現役を引退した僕が見たオリンピック
・「勝てなくてすみません」への違和感
・コーチを雇う欧米人、コーチに師事する日本人
■第4章:他人が決めたランキングに惑わされない
・積む努力、選ぶ努力
・どの範囲の一番になるかは自分で決める
■第5章:人は万能ではなく、世の中は平等ではない
・生まれによる階級、才能による階級
・「リア充」なんて全体の10パーセントもいない
■第6章:自分にとっての幸福とは何か
・世の中は平等ではないから活力が生まれる
・どうにかなることをどうにかする

印象的なコメント

「憧れの罠」

憧れの存在を持つなとは言わない。ただ、自分の憧れる存在が本当に自分の延長線上にいるかどうかということを、しっかりと見極めるのは非常に大事なことになってくる。自分とはまったく接点のない人に憧れて、自分の短所を埋めているつもりが長所ごと削り取っている人はかなりの数に上ると思う。僕はこれを「憧れの罠」と呼んでいる。

為末氏は100メートルから400メートルハードルに転向した経験があり、そこで「諦める力」を学び取りました。目標を持ったり、希望を持つのは間違っていないのですが、自分には手の届かないものを目指し続けるのは、明らかにストレスです。無意味なストレスだから。ある程度は、今の自分の目標が、自分の持っている適性の延長線上にあるのかを知ることが必要です。

そして、そういう見極めができるのが、やはりコーチなんじゃないかな?と。人間はなかなか客観的に自分のことを見られないし、願いに現実がゆがめられてしまうことだってありますもんね。為末氏でさえ、100メートルを諦めさせてもらったのは、当時の陸上の監督のおかげだと述べています。ちょうど、目標を持つことについて真剣に思考していたため、この指摘、「憧れの罠」は響きました。

勝ちやすいところで勝つ

「決勝に残るレベルではなく、本当に金メダルを狙うのなら、陸上以外のスポーツを狙ったほうが間違いなく勝率は上がるだろう。金メダルに軽重があるわけではない。  しかし、金メダルを獲得できる確率や金メダルを取るために必要な費用には、種目によって大きな差があるのは事実だ。だとすれば、取りやすいほうで勝負してもいいのではないだろうか。」


「自分の限界を認めることに対しては、激しい抵抗を感じた時期があった。しかしやがて気づいたのは、どこかのタイミングで「自分はこんなものでしかない」ということを一度受け入れなければならないということだ。「このぐらいが自分なんだ」ということを知る、といってもいい。  自分という存在のままこのフィールドで勝てるのか。それとも、もっと楽に勝てるフィールドが別にあるのか。僕はこう考えて、勝負する競技を思い切って変えた」

「花形」で勝負しようと思うと、結局、勝ち残ることはできない。そうであれば、種目を変えるのも知恵ではないか?というわけです。これは中国の故事で言われていることですよね。ビジネスの世界で言えば、ランチェスター戦略などもそうです。

参考:鶏口となるも牛後となるなかれ - 故事ことわざ辞典

分かってはいるけれども、そこをスパッと切り替えられるかということです。上に、上に、誰よりも上に、という風潮の中では、華々しく脚光のあたる世界に関心が集中するのですが、一見地味に思えるところが、実は自分が本当に活きる場所だったということもあり得るものでは無いでしょうか。為末氏は、これを「勝負の世界の入り口」という言葉で表現しています。

深いコメントです。

「今の自分の力で「やりたいこと」をやるのか、それとも「できること」をやるのか、どちらを取るかということだった。熟考した結果、最も諦めたくなかったのが「勝負すること」だった。  自分のことを正確に認識し、その自分が通用する世界をきちんと探す。僕はこれが勝負の世界への入り口だと思っている。」

どうなんだろう。ロマンはあるのだろうか?手が届かないと思っても、ひたすらそこにチャレンジし続けるべきなのではないか?夢をあきらめてはいけないのではないか?そういう「神話」が優勢な中で、比較的近年まで活躍したアスリートが語る独白に胸を打たれます。ここには真実の響きがありますよね。

もう、これ真逆ですよw

それでも僕は夢を見る

現実は為末氏の言う「諦める力」に軍配があがりますが、「夢をあきらめないで」のほうが、一般的にウケはいいでしょうね。

だからこそ全力で取り組む

「ハードルを全力で飛ぶと、自分で思っているよりももっと高く飛べるんだということもわかるし、今の自分では飛べない高さがあることもわかる。人間は本気で挑んだときに、自分の範囲を知る。手加減して飛べば本当はどのくらい飛べたのかがわからない。だからいつも全力でやってほしいと子どもたちに言っている。」


「飛べるかどうかわからない高さだから引っ掛けて転ぶこともある。そこで初めて自分の範囲を知る。これは飛べる高さ。これは飛べる幅。そこがわかってくることが大切なのだ。・・・全力で試してみた経験が少ない人は、「自分ができる範囲」について体感値がない。ありえない目標を掲げて自信を失ったり、低すぎる目標ばかりを立てて成長できなかったりしがちである。転ぶことや失敗を怖れて全力で挑むことを避けてきた人は、この自分の範囲に対してのセンスを欠きがちで、僕はそれこそが一番のリスクだと思っている。」

「諦める力」を発揮することは、チャレンジしないということではありません。チャレンジした後に、自分の実力を冷静に見極め、時に「諦める」ことが必要なのです。しかし、それを本当に「体感」するためには、全力で挑まないとなりません。そうでなければ、本当に自分にとって届かない高さの目標なのか?わかりっこないのです。

本当に一生懸命、限界を超えるくらいの努力をした人だけが「諦める力」を持ちえます。為末氏の本には名言が多いです。

まとめ

完全に、ビジネス書作家で生きていけますね。ひたすら走り続けてきた人だと思いますが、非常に知的なコメントが多いです。また、机上のコンサルタントと違って、スポーツの世界で世界的な実績をあげてきた人だからこそ語れることがあります。今後の、活動にも注意を払っていきたいと思います。ちょうど、この本を読んでいるとき、為末氏のコメントがニュースに取り上げられていて(日本選手はなぜ謝るのか/為末大学 -リオオリンピック特集 - Yahoo! JAPAN)この本を読んでいるからこそ、氏の奥底の気持ちがなんとなくわかるような、心が通ったような、そんな気がしました。


諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない

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